あまのじゃく

「常識」ってなんだろう。
多数派のこと?それとも普通なこと?
そんなことを時々思うことがある。

町内会の会報に、
「最近町内会に入らない人が多く、会費を払わない。
 町内会に入ることは全国どこに行っても常識」
みたいなことが書かれていた。

それなりに必要性、というのは理解する。
うちは会費払ってるから怒る必要ないのかもしれないけど、
なんらかの拘束がなされていない以上、
「常識」という言葉で括られると、反感を覚える自分がいる。
入ってない人は「非常識」なのか、人間として認められないのか、と。

↑のことは、どうでもいいわけだけど、
常識という肩書きを得るがために多数派につく、
孤立を恐れて群衆の中に所属することでしか安心感を得られない、
そんな人間にはなりたくないのです、ハイ。

人間として自然界で平和に共存するための、
お互いの人権を侵害しないための暗黙のルール、
それが「常識」として扱われること、だろうか。
ただ、そこまで説明せずに非常識を否定するのは問題があるわけ。


会報にあった二文字をここまで掘り下げるのはどうかと思うし、
町内会の必要性、役割、ルールを否定する気もない。
単に「常識」という言葉が、ある種の「スイッチ」になってるだけ(^^;
同じ町内の人、見てても気にしないでください・・・

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